2014年02月24日

いちを足す

辛(つらい)に一(いち)を足すと
幸(しあわせ)になります
ここで加える一(いち)とは
自分のことです
辛さが生まれているのは
誰かのせいかもしれません
誰かを変えようとして
ストレスが増え
辛くなっているのかもしれません
でもそんな時こそ
自分ひとりでも顔晴るって
決意します
その時
辛が幸に変わります
そしてそれは
他の人の辛いも幸せに
変えていきます
抵抗が増した時こそ
加速するタイミング
飛び立つ時

生きている間にはいろんなことが起きます。
最初から最後まで、それは生まれてから死ぬまで、順風漫歩だったという人は、はたしているのでしょうか?
様々な書物の中には、思うように生きることができると書いています。
すべて思いどおりになるということも書かれていたりします。
どちらも共通していることが、まず思うということです。
だれが思うのかというと、それは自分自身です。
起きていることはすべて、単なる事象であり、それをどうとらえ、どう意味づけするのかは、すべて自分です。
自分を振り回しているのが自分であるなら、自分をコントロールできるのも自分。
そのため、辛いときに自分一人でも顔晴るという気構えが必要です。
その気構えが、自分を取り巻く世界を変えていきます。

【一歩先に進みたい人へ【実践のポイント】
・思っているとおりの世界が展開しているんだと知ります
・思いはコントロールできると決意します
・辛い時こそ自分一人でも顔晴るという気構えが思いを変えていきます。
posted by 本山隊長 at 06:22| Comment(0) | 日記

2014年02月17日

最初のひとりは

私たちの一生は舞台
自分が主役の舞台です
その舞台で
それぞれが独自のシナリオで
一生を演じます
シナリオはすべて違いますが
いくつかの
共通していることがあります
そのうちのひとつが
「人のお役にたつ」です
私たちが声をかけるのを
待っている人たちがいます
私たちのかける言葉や笑顔で
心の重しが
ふっと軽くなる人たちがいます
自分の中にある限りない愛の想いに
気づく人たちがいます
本来持つ行動力を
発揮できる人たちがいます
その最初のひとりが自分です
「自分の役に立つ」ための
言葉と笑顔を
自分のために使いましょう
自分は自分の力になれます
まずは自分から始まります

 本来の世界、もともとそこに住んでいた世界である天の視点で見た時に、この世は舞台であり、私たちはそれぞれのシナリオを持って、それぞれの舞台の主役を演じています。
 シナリオはすべて違いますが、その中で共通したテーマがあります
 ひとつは舞台を楽しむということ、そしてもうひとつは、縁ある人たちのお役にたつということです。
 お役にたつという時に大切な考えがあります。
 それはすべての人が主役の舞台を演じている、舞台はやがて終わり、天に帰る約束である、ということです。
 天に帰るのは心です。
 天に帰る時の条件は、心軽やかで心やわらかであるということです。
 心硬く、心重くてはうまく帰ることができません。
 人のお役にたつとは、心の重しを取る手助けをすることであり、硬くなった心をほぐす手助けをするということです。
 笑顔と愛のある言葉が、それを可能にしていきます。

【人の役に立つために(実践のポイント)】
・人の役に立つとは相手の心の重しをとる手助けをすることです
・人の役に立つとは相手の硬くなった心をほぐす手助けをすることです
・すべての人がそれぞれのシナリオを持った舞台の主役を演じているのがこの世です
・シナリオに共通しているテーマは、舞台を楽しむことと人のお役にたつということです
posted by 本山隊長 at 05:01| Comment(0) | 日記

2014年02月10日

ほんの少しだけ多めに

今日は
いつもより
ほんの少しだけ多めに
目を凝らして
観ていようと思います
いつもより
ほんの少しだけ多めに
耳を澄まして
聴いていようと思います
いつもより
ほんの少しだけ多めに
心を開いて
感じていようと思います
目に見えるもの
目には見えないもの
限りあるもの
限りないもの
与えること
与えられていること
生きている自分
生かされている自分
そして
その境にあるもの
つなぐもの


私たちの住む世界は、目に見える世界と目には見えない世界の両方から成り立っています。
すべての人はそれを感じています。
それで時々夜空を見上げたり、ふっと別の生き方が心をよぎったりします。
この世は一度限りの舞台であり、同じ設定同じ配役は二度とはありませんが、私たちが主役の舞台は何度も何度もシナリオを変え、配役を変え、繰り返されてきました。
そしてこれからも繰り返されていきます。
 悠久の時の流れの中で連綿と繰り返されてきた、目に見える世界と目には見えない世界との行き来。
 何のために繰り返されるのかは、その二つの世界を貫く不変に変わらないものの中にあります。
 不変に変わらないもの、それは私たちを介して目に見える世界(この世)と、目には見えない世界(天)をつなぐのです。
 それが何であるかは、私たち自身を見つめることで見えてきます。
 いつもよりほんの少しだけ、五感を高めながら、意識を集中します。
 やがて五感のとらわれから離れ、その先に感じるものが不変に変わらないもの、この世界に充ち満ちているものです。

【よりよい人間関係作りのために(実践のポイント)】
・目に見えるものをしっかりと見ます。
・目に見えるものや人を自分に置き換えます
・目に見えるものや人を自分だと思います
・見えているものの見え方の変化を探してください

posted by 本山隊長 at 00:38| Comment(0) | 日記

2014年02月03日

命という字には
ふたつの意味があります
ひとつめの意味は
「人は 一度は 叩かれる」
誰でも一度は
困難と思えることがやってくる
ということを表しています
刀鍛冶は 
真っ赤に焼いた鉄を
ハンマーで叩きます
その時に鉄以外のものが
火花となって飛び散ります
そうすることで
鉄だけが残っていきます
叩くことで
不純物がなくなり
純度が増していきます
命のふたつめの意味は
「人よ もう一度 扉を叩け」
この扉は 夢実現へと続く扉です
ひとつの扉が閉ざされた時
必ず別の扉が開くと言われます
カーネルサンダースは
1,000の扉を叩きました
エジソンは
10,000の扉を叩きました
持続する強い意志と行動が
夢実現へと続く扉を開けていきます

 命という字には二つの意味が込められています。
 それは「人は一度は叩かれる」という意味と「人よ もう一度 扉を叩け」という意味です。
 これは言葉に込められた天のメッセージです。
 この世の仕組みを知り、どうか思い通りの人生を送ってほしいという天の想いです。
 私たちは天からこの世界に旅立つ時に、すべてを忘れて旅立つようになっています。
 それは旅を楽しむため、旅をもっとワクワクするための天の仕掛けです。
 それでも一度旅に出ると、旅であることを忘れ、この世が終の棲家と考え、旅を楽しむという目的も忘れてしまうことがあります。
 そのため、天はいたるところに気づきのためのメッセージを織り込んでくれています。
 言葉もその一つです。
 命という言葉にも、天は気づきのメッセージを織り込めました。
 それが「人は一度は叩かれる」と「人よ もう一度 扉を叩け」というメッセージです。
 どちらも今回の旅を楽しみ、その中で自分の独自の旅の目的を成し遂げるための天の仕掛けです。
 解けない問題は起きない、常に天が味方の旅です。
 そんな天の想いが込められた命という言葉、それがこの世で私たちに与えられた旅の条件です。

【夢の実現を目指している人へ(実践のポイント)】
・私たちの夢は圧倒的な天の後押しのもと実現していきます。
・身の回りの様々な物事に天のメッセージが織り込まれています。
・この世という旅を楽しみましょう。ワクワクしましょう。
・解けない問題は起きません。
posted by 本山隊長 at 01:47| Comment(0) | 日記

2014年01月26日

未熟どうしです

親と子の関係について考えています
自分が子どもだった時に
親に言われた嫌な一言が
大人になっても
嫌な思いとして
心に残っていることがあります
その一言に腹が立ったり
傷ついたりしているのではなく
親にそんなことを言わせた
自分が許せずに
いつまでも心に残っているのです
でも、自分にも子が生まれ
親になって初めて
気づいたことがあります
それは親も未熟なんだ
ということです
未熟な親が
自分も育ちながら
子どもを育てています
そう思うと
心に残っている嫌な一言の背景が
まったく違ってみえてきます
その嫌な一言は
自分に向けられたものではなく
自分のことを的確に表したものでもなく
ただただ
その時の感情の高ぶりが発した
一言だったということです
親も未熟 子も未熟
いつまでたっても未熟どうしが
笑いながら
怒りながら
泣きながら
喜びながら
深く関わりあって続く旅です
「自分を許します」と声に出すことで
根拠のないとらわれから
自分を自由にすることができます
「自分を許します」と声に出すことで
親と子の
お互いの理解がさらに深くなります

 私たちの心の中に劣等感があると、それは自分を許せないと自己卑下になるか、相手を許せないと攻撃的になるか、そのどちらかになります。
 その時、どうして劣等感を持つようになったのか、よくよく考えてみます。
 親や先生など、その時子どもだった自分にとって、最も信頼に値する人たちに言われた一言や取られた態度が、劣等感を植え付けることが多くあります。
 子どもの時ならそれも考えられますが、問題は大人になった今も、そのことを引きずっていることがあるということです。
 大人になった自分の目線で、当時の親や先生たちのことを思い出してみてください。
 きっと、今の自分と同様の未熟な大人の姿が、そこに見えてくるはずです。
 未熟さゆえの一言であったり、取った態度であったということです。
 そのことが分かれば、いつまでもとらわれる必要はありません。
 とらわれから自分をそして相手も解き放つ言葉は「自分を許します」です。
 この一言から、本来のよりよい関係が生まれてきます。

【未熟どうしが本来のよりよい関係を築くために(実践のポイント)】
・あなたに劣等感があるとしたら誰がそれを、どんな時に与えたかを思い出します
・その人の未熟な点を、今のあなたの視点で探してみてください
・未熟なもの同士の間で生まれた劣等感です。まだ持ち続けるかどうか考えます。
・私を許しますの一言を。
posted by 本山隊長 at 23:31| Comment(0) | 日記