2014年05月11日

かけがえのない自分

私たちは
ひとりひとりが
誰とも変えることのできない
かけがえのない存在です
そしてその一生は
ひとつひとつが
世界にただひとつの
かけがえのない物語です
かけがえのない存在が
かけがえのない物語を演じている
それが私たちの人生です
そんな目で見たら
きっと
見えなかったものが見えてきます
かけがえのない舞台には
愛が満ち溢れています

いつの間にか、私たちは何をする時でも、誰かと自分を比較する癖がついています。
比較することで、自分が存在することの意味や価値を見出そうとしているのかもしれません。
でも、本当にそうでしょうか?
私たちはほんとうに誰かと比較する必要があるのでしょうか?
そもそも比較できるのでしょうか?
そして何のために比較するのでしょうか?
そう考えると、そこに見えてくるものがあります。
それは誰とも比較する必要のない、誰とも比較することのできない自分。
かけがえのない自分です。
かけがえのない自分の目で、もう一度、世界を見てみましょう。
新しい世界が広がっていきます。

【もっと自信を持ちたい人へ(実践のポイント)】
・誰かと自分を比較することをやめます
・誰とも比較する必要がないことについて考えます
・かけがえのない自分を発見してみましょう

posted by 本山隊長 at 23:44| Comment(0) | 日記

2014年04月28日

奇跡

靴を磨くと
いろんな発見があります
いままでこの靴のおかげで
何不自由なく歩けたことに
気づきます
ありがとうって
感謝の気持ちを声にして
靴をほめたいと思います
ほめることで
見えてくることがあります
それは奇跡のようなつながり
この靴ができるために
重なった無数の
奇跡のようなつながりです
イメージしてみてください
靴を作っている
ひとつひとつの素材
その素材の
ひとつひとつができるまでの過程
その素材が集まってくる状況
集まった素材が靴への変わる姿
そこで使われている道具
その道具のひとつひとつが
作られる過程
そして
そこに関わるすべての人々 
などなど
想いは時空を超え
奇跡のようなつながりを
見つけます
靴だけではありません
例えば机
机を作っている木は
何十年か前に
誰かがどこかに植えたもの
さらにもとはひとつの種
種から種へと連綿と続いた命
そんなふうに想いを寄せると
身の回りの当たり前を
作っているのは
奇跡の積み重ねなんだと
きっと感じ始めると思います
そこに深い感謝が生まれます
感謝が生まれることで
見えてくる
もうひとつの奇跡があります
それは自分自身です
今ここにいる
自分自身が
奇跡の積み重ねです

物を空中に浮かせたり、スプーンを曲げたり、誰もできないような突拍子もないことを目の当たりにした時、思わず「奇跡!」と叫ぶかもしれません。
でもそれは、本当に奇跡なのでしょうか?
人間の力や自然法則を超えたもの、というのが奇跡の定義であるなら、その突拍子もない出来事も奇跡と言われるかもしれません。
ただ私は、それは突拍子もない出来事、不思議な出来事に過ぎないと思っています。
歌が上手い人がいたり、絵が上手であったり、暗記力が高いなどと同じように、その人が持っている力の一つにすぎないのです。
本当の奇跡は、私たちの身の回りに無数にあります。
この世界を創っているのは奇跡の重なりであり、奇跡の積み重ねの結果です。
そして私たちの存在自体が奇跡の存在、奇跡の積み重ねの結果です。

【本当の自分を探している人へ(実践のポイント)】
・不思議なことは不思議だなあと思います
・不思議なことと奇跡は違うことを考えます
・身の回りに無数にある奇跡を発見します

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2014年04月21日

ばね

過去をふりかえる時
もっとこうすればよかった
という後悔の思いが強すぎると
持ち越し苦労が生まれ
未来を考える時
失敗したらどうしよう
という不安の思いが強すぎると
取り越し苦労が生まれます
後悔や不安な思いを
まったく無くすことは
難しいかもしれません
でも それらを
「ばね」にすることは
きっとできます
今日という一日を
力強く踏み出すための「ばね」です
過去や未来の心配を
今日の信頼に変えるための
「ばね」です
天が味方の今日という旅
はじまりました
天を信頼して
今日一日を全力投球で
楽しみましょう

後悔や不安の思いをなくすことは、なかなかできないかもしれません。
でもその思いが強すぎると、それは持ち越し苦労やとり越し苦労となり、次の後悔や不安の種となっていきます。
今出てきた結果を、次にどうつなげるのかが大切なことであり、そのために、その結果を「ばね」にするという考えが大事になってきます。
「ばね」は、次の一歩を力強く踏み出すためのものです。
今までよりも強く、今までよりも高く、その一歩を踏み出すために、「ばね」を使います。
そう考えたら、無駄なものはありません。
すべては、私たちのために天が与えてくれたものです。
天が圧倒的に信頼してくれている証です。

【一歩先へ進みたい人へ(実践のポイント)】
・公開や不安の気持ちを「ばね」にすることを考えます
・天は私たちを圧倒的に信頼してくれています
・天を信じ、今日も全力投球の一日を過ごしましょう

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2014年04月14日

一気呵成

飛行機が飛び立つ直前は
もっとも空気の抵抗の大きい時
飛び立てば 一気に空です
もっとも暗くなるのは
夜明けの直前の空
夜明けはゆっくり始まり
やがて一気に世界を照らします
そう、ここ一番は
もしかしたら一番苦しい時かも
でも、その時こそ 
勢いをつけてみようと思います
勢いを運ぶと書いて「運勢」
運勢が上がる時とは
チャンスが連続してやって来る時
ひるまず 
圧倒されず
勢いつけて
一気呵成

描いた夢の実現に向かって進んでいる時、抵抗がとても強くなったり、暗闇の中、進む方向を疑いたくなったりすることがあるかもしれません。
その時こそ、さらに加速していく決意をします。
飛行機は、飛び立つ直前の風の抵抗が最も強くなります。
夜明けの直前の空が最も暗くなります。
これまで自分が一歩一歩積み重ねてきたもの、一つ一つ工夫を重ねてきたことが、最初の直感で確かだと感じたら、それは迷わず進みなさいという天のインスピレーションです。
 さあ飛び立ちましょう。ここでひるむことなく、加速して一気呵成に運勢あげていきましょう。

【夢の実現を目指している人へ(実践のポイント)】
・抵抗がとても強くなったり、暗闇が深くなったり感じたときは、いよいよ次の展開が始まるかもしれないと考えます。
・一歩一歩積み重ねてきたことが確かだと直感したら、まよわず次の一歩を踏み出しましょう。
・加速し一気呵成に進む決意が、運勢を上げていきます。

posted by 本山隊長 at 22:17| Comment(0) | 日記

2014年04月06日

いい関係

いい関係とは
それは、気を使わずに
どんなことでも言いあえる関係
と思われがちですが
もし、言ってしまったことを
相手が受け入れできなかったら
言わなければよかったなんて
ことになるかもしれません
いい関係の人のことを
思い出してみてください
気を使わない関係ではなく
きっと、
心地よく気を使いあうことが
できる関係のはずです
気を使っても
気疲れしない関係のはずです
お互いが
自分を大事にするように
相手を大事にできる関係
そして
自分を大事にしながら
相手を大事にできる関係
それがいい関係
生涯の宝物です

気を使わない関係というのをイメージしてみてください。
気を使わない関係とは、言い換えると気が付かない関係かもしれません。
そう考えると、いい関係とはいえないような気がします。
そうであるならば、いい関係とは、気を使わない関係でなく、気持ちよく気を使いあえる関係、気を使っても気疲れしない関係のことを言っているのだと思います。
それはどんな関係かというと、自分を大事にするように相手を大事にできる関係です。
そしてどんな時にそんな関係になれるのかというと、それはきっと無条件に自分の話を聞いてくれる時、その時、心地よく気を使いあえる関係になっています。

【よりよい人間関係作りのために(実践のポイント)】
・いい関係とは気持ちよく気を使いあえる関係です
・いい関係とは気を使っても気疲れしない関係です
・お互いに無条件に話を聞けるとき、そこに心地よい関係が生まれます

posted by 本山隊長 at 23:10| Comment(0) | 日記

2014年03月31日

たったそれだけで

いいことが起きたら
ツイテルって天に感謝し
さらにいいことが起きることに
ワクワクしましょう
嫌な気持ちに
なることがあったら
困っているのではなく
学んでいるのだと考えましょう
自分に都合のいい考え方だ
と人に言われても
気にしない気にしない
あなたがずっときげんがいいと
この世界のふきげんが
確実にひとつ減っていきます
この世界のみんなが 
自分で自分のきげんを
保つことができれば
たったそれだけで
世界は平和になります

世界を平和にする方法は、はるか遠いところにあるのではなく、きわめて身近なところにあります。
それは私たち一人ひとりの行動しだいです。
その行動とは、常にきげんよくいるということです。
そして常にきげんよくいるためには、いいことが起きたらついてるって天に感謝し、うまくいかないときは、困っているんではなく学んでいるんだと天に感謝します。
自分に都合のいい考えでも、それで自分のきげんを保てることが大切です。
私たち一人ひとりが常にきげんよく生きていれば、その分、ふきげんに生きる人が少なくなります。
きげんのいい人が増え、ふきげんな人が減っていくと、それだけ世界は平和になっていきます。

【満たされた一日を送るために(実践のポイント)】
・常にきげんよくいようと決意します
・いいことが起きたらついてるって天に感謝します
・うまくいかない時は、困っているんではなく学んでいるんだと天に感謝します

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2014年03月24日

大丈夫

目が覚めた時
今日の舞台が始まります
自分が主役の舞台の幕あけです
天が観客の舞台です
観客の拍手と歓声の中
舞台の幕が上がりました
幕開けと同時に
舞台と客席は一体となります
舞台上の演技のひとつひとつに
観客は笑い 喜び 涙します
舞台と客席をつなぐのは感動です
観客が
「なるほど!」と膝を打つ演技
「よーし!いいぞ!」と小躍りする演技
「よくやったー!」と涙を流す演技
そんな演技を堂々と!
そんな演技を活き活きと!
大丈夫!
何度も何度も演じきっています
限りない回数の舞台を
時代と場所とシナリオをかえ
見事に演じきっています

この人生は、私たちが皆それぞれ主役を演じている舞台です。
自分の舞台上では主役であり、同時にそれは、人の舞台の名わき役でもあるという天の見事な仕掛けの上にある舞台です。
観客は天。
天は私たちの一挙手一投足に一喜一憂しています。
舞台を見ている天はすべて、私たちの圧倒的な応援団です。
天はけっして意地悪な見方をしません。
天はけっしてうがった見方をしません。
いつもまっすぐに、おおらかに、ただ愛のまなざしで、舞台上の私たちにエールを送っています。
そんな天に見守られながら、時を変え、場所を変え、テーマを変え、何度も何度も舞台に上がってきたのが私たちです。
胸を張って堂々と、自信をもって生き生きと、常に最高の役者として、演じていきましょう。
大丈夫大丈夫、あなたの舞台で最高の名優はあなたです。

【もっと自信を持ちたい人へ(実践のポイント)】
・この世は自分が主役の舞台だと知ります。
・自分の舞台で最高の名優は自分です
・胸を張って堂々と、自信をもって生き生きと、常に最高の役者として、演じることを決意しましょう

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2014年03月17日

無用の用

人が歩くのに必要な道幅は
50cmあれば十分です
でも、100mの谷の上に
かかっているのが50cmの橋なら
誰でも渡れるわけではありません
そのため、歩くのに使わない幅が
必要になってきます
この使わない幅のことを
無用の用と言います
無用の用を意識しながら
考えていると
そこに絶妙のバランスが
生まれてきます

無用の用とは、言い換えるとすると、「自分に起きることでムダなものはない」ということになります。
ただしそれは、起きるすべてのことに意味づけをしなさいと言うことではありません。
運命として、そのことが起きることが決まっていると言うわけでもありません。
起きることをどのようにとらえるのか、そしてどうやって自分の糧とするのか、そう考える時に無駄なものはない、無用の用というものが生まれてきます。
それは、ないと渡れない橋の余幅であるという話を書きましたが、別のたとえをすると、氷山の水面下の部分に当たります。
目には見えないけれども、水面下の部分がしっかりしていることで安定感が増してきます。
いろんな出来事を学んでいるんだと考え、自分のものとして身に付けていっているんだと考えると、無用の用が増え、安定感が増し、自分の中心軸のブレが少なくなり、同時にいろんな考えを受け入れる幅がまし、アイディアがわきやすくなります。

【新しいアイディアを得るために(実践のポイント)】
・水面下の見えない部分の蓄積を意識します
・起きる出来事を学びの機会ととらえます
・安定感が増していくことと中心軸がしっかりしてくることは連動しています

posted by 本山隊長 at 06:30| Comment(0) | 日記

2014年03月10日

波長同通

仕事は一人ではできません
誰かの協力を得ながら
仕事は進んでいきます
それは互いに助け合う関係です
でも誰かの協力があったら
いい仕事ができるのになあ
と思っている時は
なかなか協力者はあらわれません
同じように
人は育てないといけない
と思っている間は
育たない人がやってきます
矛盾しているようで
自分の深いところの思いが
形になっている可能性が高いのです
自分ひとりでも顔晴ると思い
行動している時に
同じような考えの協力者がやってきます
自分が発している波長と
同じ波長の人が集まります
波長同通の法則です

「類は友を呼ぶ」とか「波長同通の法則」を考える時、おおもとになっているのは、自分がどのような考え方を持っているのかと言うことです。
 その考え方が波長となって外に発せられ、同じ考え〈同じ波長〉の人や出来事を引き寄せます。
 人は育てないといけない、自分では育たないと思っていると、いつまでも、育たない人たちが入れ替わりやってきます。
 人は自分で育つんだ、与えることができるのはそのきっかけに過ぎないと思っていると、ピンと響いてグングン自分で育つ人たちがやってきます。
 同じことで、人の協力がないとうまくいかないと思っていると、同じように人の協力がないとうまくいかないと思っている人たちが集まります。
 自分ひとりでも顔晴ると思っていると、自分ひとりでも顔晴るという人たちが集まります。この人たちが力を合わせることで、1+1が100の力になり、1000の力になります。

【よりよい人間関係づくりのために〈実践のポイント〉】
・思うように行かない時には、その思いをもう一度確認します。
・思いを言葉に出します。言葉の力を使います。
・間違った思いが出てきた時は、声に出してキャンセルします。これも言葉の力です。 

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2014年03月02日

長寿を楽しむ社会

私は「少子高齢社会」という言葉が
好きではありません
「大変な社会が来る」
という警告に聞こえるからです
でも本当にそうでしょうか?
事実は、子どもはそれほど増えずに
年を重ねる人が増えるということです
それは大変なことなのでしょうか?
そう問いかけると
まったく違った面が見えてきます
大変な社会ではなく
成熟した穏やかで心地よい社会が来る
ということです
それは「長寿を楽しむ社会」が来る
ということです
すべての人が必ず年を重ねます
その先にあるのは
「大変」ではなく「楽しみ」です
「少子高齢社会」ではなく「長寿を楽しむ社会」
「後期高齢者」ではなく「高貴高齢者」
「前期高齢者」ではなく「善気高齢者」

年を重ねるということは、すべての人、すべての国、すべての地域で起こることです。
それも必ず起こることです。
必ず起こることを、何度も繰り返してきていることを、心配事としてとらえることが本当に正しいとらえ方なのでしょうか?
何をもって事実と考えるのか?
そのことについて、少子高齢社会を違う視点でとらえたのが、今回の「長寿を楽しむ社会」という言葉です。
高齢という言葉は苦しさや辛さを感じさせますが、長寿という言葉はお祝いの気持ち、感謝の気持ちを感じさせます。
少子高齢社会という大変な社会が始まるという印象から、長寿を楽しむ社会という楽しみの社会が始まるという印象へ変えていきたい、そんな願いを込めて今回のお話を書いています。

【未来へ希望を持つために(実践のポイント)】
・ものごとはどうとらえるかが事実を創っていきます。
・大変より楽しむという視点を持てるようにします。
・楽しむという印象を広げるためのキーワードを探し提案します。

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2014年02月24日

いちを足す

辛(つらい)に一(いち)を足すと
幸(しあわせ)になります
ここで加える一(いち)とは
自分のことです
辛さが生まれているのは
誰かのせいかもしれません
誰かを変えようとして
ストレスが増え
辛くなっているのかもしれません
でもそんな時こそ
自分ひとりでも顔晴るって
決意します
その時
辛が幸に変わります
そしてそれは
他の人の辛いも幸せに
変えていきます
抵抗が増した時こそ
加速するタイミング
飛び立つ時

生きている間にはいろんなことが起きます。
最初から最後まで、それは生まれてから死ぬまで、順風漫歩だったという人は、はたしているのでしょうか?
様々な書物の中には、思うように生きることができると書いています。
すべて思いどおりになるということも書かれていたりします。
どちらも共通していることが、まず思うということです。
だれが思うのかというと、それは自分自身です。
起きていることはすべて、単なる事象であり、それをどうとらえ、どう意味づけするのかは、すべて自分です。
自分を振り回しているのが自分であるなら、自分をコントロールできるのも自分。
そのため、辛いときに自分一人でも顔晴るという気構えが必要です。
その気構えが、自分を取り巻く世界を変えていきます。

【一歩先に進みたい人へ【実践のポイント】
・思っているとおりの世界が展開しているんだと知ります
・思いはコントロールできると決意します
・辛い時こそ自分一人でも顔晴るという気構えが思いを変えていきます。
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2014年02月17日

最初のひとりは

私たちの一生は舞台
自分が主役の舞台です
その舞台で
それぞれが独自のシナリオで
一生を演じます
シナリオはすべて違いますが
いくつかの
共通していることがあります
そのうちのひとつが
「人のお役にたつ」です
私たちが声をかけるのを
待っている人たちがいます
私たちのかける言葉や笑顔で
心の重しが
ふっと軽くなる人たちがいます
自分の中にある限りない愛の想いに
気づく人たちがいます
本来持つ行動力を
発揮できる人たちがいます
その最初のひとりが自分です
「自分の役に立つ」ための
言葉と笑顔を
自分のために使いましょう
自分は自分の力になれます
まずは自分から始まります

 本来の世界、もともとそこに住んでいた世界である天の視点で見た時に、この世は舞台であり、私たちはそれぞれのシナリオを持って、それぞれの舞台の主役を演じています。
 シナリオはすべて違いますが、その中で共通したテーマがあります
 ひとつは舞台を楽しむということ、そしてもうひとつは、縁ある人たちのお役にたつということです。
 お役にたつという時に大切な考えがあります。
 それはすべての人が主役の舞台を演じている、舞台はやがて終わり、天に帰る約束である、ということです。
 天に帰るのは心です。
 天に帰る時の条件は、心軽やかで心やわらかであるということです。
 心硬く、心重くてはうまく帰ることができません。
 人のお役にたつとは、心の重しを取る手助けをすることであり、硬くなった心をほぐす手助けをするということです。
 笑顔と愛のある言葉が、それを可能にしていきます。

【人の役に立つために(実践のポイント)】
・人の役に立つとは相手の心の重しをとる手助けをすることです
・人の役に立つとは相手の硬くなった心をほぐす手助けをすることです
・すべての人がそれぞれのシナリオを持った舞台の主役を演じているのがこの世です
・シナリオに共通しているテーマは、舞台を楽しむことと人のお役にたつということです
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2014年02月10日

ほんの少しだけ多めに

今日は
いつもより
ほんの少しだけ多めに
目を凝らして
観ていようと思います
いつもより
ほんの少しだけ多めに
耳を澄まして
聴いていようと思います
いつもより
ほんの少しだけ多めに
心を開いて
感じていようと思います
目に見えるもの
目には見えないもの
限りあるもの
限りないもの
与えること
与えられていること
生きている自分
生かされている自分
そして
その境にあるもの
つなぐもの


私たちの住む世界は、目に見える世界と目には見えない世界の両方から成り立っています。
すべての人はそれを感じています。
それで時々夜空を見上げたり、ふっと別の生き方が心をよぎったりします。
この世は一度限りの舞台であり、同じ設定同じ配役は二度とはありませんが、私たちが主役の舞台は何度も何度もシナリオを変え、配役を変え、繰り返されてきました。
そしてこれからも繰り返されていきます。
 悠久の時の流れの中で連綿と繰り返されてきた、目に見える世界と目には見えない世界との行き来。
 何のために繰り返されるのかは、その二つの世界を貫く不変に変わらないものの中にあります。
 不変に変わらないもの、それは私たちを介して目に見える世界(この世)と、目には見えない世界(天)をつなぐのです。
 それが何であるかは、私たち自身を見つめることで見えてきます。
 いつもよりほんの少しだけ、五感を高めながら、意識を集中します。
 やがて五感のとらわれから離れ、その先に感じるものが不変に変わらないもの、この世界に充ち満ちているものです。

【よりよい人間関係作りのために(実践のポイント)】
・目に見えるものをしっかりと見ます。
・目に見えるものや人を自分に置き換えます
・目に見えるものや人を自分だと思います
・見えているものの見え方の変化を探してください

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2014年02月03日

命という字には
ふたつの意味があります
ひとつめの意味は
「人は 一度は 叩かれる」
誰でも一度は
困難と思えることがやってくる
ということを表しています
刀鍛冶は 
真っ赤に焼いた鉄を
ハンマーで叩きます
その時に鉄以外のものが
火花となって飛び散ります
そうすることで
鉄だけが残っていきます
叩くことで
不純物がなくなり
純度が増していきます
命のふたつめの意味は
「人よ もう一度 扉を叩け」
この扉は 夢実現へと続く扉です
ひとつの扉が閉ざされた時
必ず別の扉が開くと言われます
カーネルサンダースは
1,000の扉を叩きました
エジソンは
10,000の扉を叩きました
持続する強い意志と行動が
夢実現へと続く扉を開けていきます

 命という字には二つの意味が込められています。
 それは「人は一度は叩かれる」という意味と「人よ もう一度 扉を叩け」という意味です。
 これは言葉に込められた天のメッセージです。
 この世の仕組みを知り、どうか思い通りの人生を送ってほしいという天の想いです。
 私たちは天からこの世界に旅立つ時に、すべてを忘れて旅立つようになっています。
 それは旅を楽しむため、旅をもっとワクワクするための天の仕掛けです。
 それでも一度旅に出ると、旅であることを忘れ、この世が終の棲家と考え、旅を楽しむという目的も忘れてしまうことがあります。
 そのため、天はいたるところに気づきのためのメッセージを織り込んでくれています。
 言葉もその一つです。
 命という言葉にも、天は気づきのメッセージを織り込めました。
 それが「人は一度は叩かれる」と「人よ もう一度 扉を叩け」というメッセージです。
 どちらも今回の旅を楽しみ、その中で自分の独自の旅の目的を成し遂げるための天の仕掛けです。
 解けない問題は起きない、常に天が味方の旅です。
 そんな天の想いが込められた命という言葉、それがこの世で私たちに与えられた旅の条件です。

【夢の実現を目指している人へ(実践のポイント)】
・私たちの夢は圧倒的な天の後押しのもと実現していきます。
・身の回りの様々な物事に天のメッセージが織り込まれています。
・この世という旅を楽しみましょう。ワクワクしましょう。
・解けない問題は起きません。
posted by 本山隊長 at 01:47| Comment(0) | 日記

2014年01月26日

未熟どうしです

親と子の関係について考えています
自分が子どもだった時に
親に言われた嫌な一言が
大人になっても
嫌な思いとして
心に残っていることがあります
その一言に腹が立ったり
傷ついたりしているのではなく
親にそんなことを言わせた
自分が許せずに
いつまでも心に残っているのです
でも、自分にも子が生まれ
親になって初めて
気づいたことがあります
それは親も未熟なんだ
ということです
未熟な親が
自分も育ちながら
子どもを育てています
そう思うと
心に残っている嫌な一言の背景が
まったく違ってみえてきます
その嫌な一言は
自分に向けられたものではなく
自分のことを的確に表したものでもなく
ただただ
その時の感情の高ぶりが発した
一言だったということです
親も未熟 子も未熟
いつまでたっても未熟どうしが
笑いながら
怒りながら
泣きながら
喜びながら
深く関わりあって続く旅です
「自分を許します」と声に出すことで
根拠のないとらわれから
自分を自由にすることができます
「自分を許します」と声に出すことで
親と子の
お互いの理解がさらに深くなります

 私たちの心の中に劣等感があると、それは自分を許せないと自己卑下になるか、相手を許せないと攻撃的になるか、そのどちらかになります。
 その時、どうして劣等感を持つようになったのか、よくよく考えてみます。
 親や先生など、その時子どもだった自分にとって、最も信頼に値する人たちに言われた一言や取られた態度が、劣等感を植え付けることが多くあります。
 子どもの時ならそれも考えられますが、問題は大人になった今も、そのことを引きずっていることがあるということです。
 大人になった自分の目線で、当時の親や先生たちのことを思い出してみてください。
 きっと、今の自分と同様の未熟な大人の姿が、そこに見えてくるはずです。
 未熟さゆえの一言であったり、取った態度であったということです。
 そのことが分かれば、いつまでもとらわれる必要はありません。
 とらわれから自分をそして相手も解き放つ言葉は「自分を許します」です。
 この一言から、本来のよりよい関係が生まれてきます。

【未熟どうしが本来のよりよい関係を築くために(実践のポイント)】
・あなたに劣等感があるとしたら誰がそれを、どんな時に与えたかを思い出します
・その人の未熟な点を、今のあなたの視点で探してみてください
・未熟なもの同士の間で生まれた劣等感です。まだ持ち続けるかどうか考えます。
・私を許しますの一言を。
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2014年01月20日

大力量人

大力量人という言葉があります
無限の可能性を秘めた人
という意味で
私たちは本来
無限の可能性を秘めた人
大力量人なんだということです
そう言われて
とても想像できない
と思われるかもしれませんが
それでいいのです
なぜなら
本当の私たちらしさは
私たちの想像を
はるかに超えたところにあるからです
想像もできないほどの
無限の可能性を秘めた自分を描く時
これまでの思い込みの枠が外れ
今まで見えていなかったもの
目には映っても
見えていなかったものが
見えてきます

 見上げれば、その背丈は雲の上に続き、笑い声は山々を震わせ、くしゃみひとつが嵐となる、それが大力量人であり、それが本当の私たちなんだというお話があります。
本来はそれほどの存在である私たちですが、この世に旅立ち、肉体を持った瞬間にそのことを忘れてしまいます。
 忘れる理由は、閉ざされた中から、本来の自分、想像をはるかに超えた無限の可能性を持つ自分へと、近づいていく過程を楽しむためです。
 それは枠を破っていく過程であり、その時その時に達成感という喜びも同時に存在するしかけになっています。
 なぜそんなしかけがあるのかというと、ワクワクするためです。枠を破り本来の可能性にふれるたびにワクワク感が増していきます。
 それに加えて達成感が得られるたびにも、ワクワク感が増していきます。
 私たちがワクワクしている時、天も同じようにワクワクしています。
 天は私たちを通じてワクワク感を得るのです。
 全知全能の天が、更なる喜びを得るために、閉ざされた中から全知全能に向かっていく過程を創りました。
 それは無限に続く喜びの旅であり、無限に繰り返す新しい喜びの舞台です
 私たちの一生は天寿を迎える時、トータルで喜びが多くなるようになっています。
 それが天の企画、天のシナリオ、天の計らいです。
 小さな自分にとらわれすぎずに、無限の愛であり、無限の可能性である大力量人として生きようと決めると、本来の自分らしさが現れてきます。

【大力量人である自分を実現するために(実践のポイント)】
・すべてが思い通りになっている自分を描きます
・思い通りになっている自分を遥かに超えた自分を描きます
・遥かに超える方法は、ありえないと思えるようなことを描くことです
・枠を超え、新しい自分に出会うたびに天が喜んでいることをイメージします
posted by 本山隊長 at 06:13| Comment(0) | 日記

2014年01月13日

受け取るために

天からは
常に無数のインスピレーションが
降りているという話があります
それを受け取ることが
できるかできないかは
私たちしだいです
受け取る方法は
握っているものを手放して
開いた手のひらを
天に向けることです
握っているものは
過去の成功体験
それを失うことへの恐れ
過去の失敗体験
それを繰り返すことへの恐れ
取り越し苦労
持ち越し苦労
持ち出し苦労
誰かに植え付けられた思い込み
思い込みから生まれた自己評価
これらを
握っている手を拡げて
手放すことをイメージしてください
拡げたその手に
天の無限のエネルギーが流れてきます

天には無数のアイディアが無限にあります。
それは常に私たちが手に入れ使うことを望んでいます。
そのために必要なのが、受け取る体制になっていることです。
手を拡げ、天に向けている状態が、受け取る体制ができている状態です。
それができないのはその手に何かを握っているのからです。
握っているのは失敗体験と成功体験です。
もし、私たちの周りに無数のアイディアが無限に存在していると知ったら、そしてそれは私たちが使うのを待っていると知ったら。
その時私たちは握っていたものを手放しているはずです。
なぜならとらわれる必要を感じなくなっているからです。
にぎっていたものを手放す瞬間に必要なのは、開き直る勇気です。
意識していてもしていなくても、開き直ることができるのは、自分を信じる気持ち、天を信じる気持ちを持っているからです。
心の深いところで、私たちは天に無数のアイディアがあり、いつでもそれを手に入れ、使うことができることを知っています。
それで最後の最後に、えいやーって開き直ることができるのです。
私たちはこれまでに、一度や二度、開き直ったことがあると思います。
その時、困ったことになったでしょうか?それよりも活路を開けたことの方が多くなかったでしょうか?
天のアイディアは、私たちの想像をはるかに超えた力を持っています。
使うことができた時、これまで握っていた成功体験や失敗体験がとても小さなものに感じられます。
いつでも、どんな時でも、どんな場所にいても、天の無数のアイディアは、私たちの周りに存在し、私たちが使いこなすことを、手を拡げて待っています。

【天からの無数のアイディアを手に入れることを実現するために(実践のポイント)】
・手に握っている成功体験や失敗体験があれば、それを書き出します。
・なぜ、それを握っているのかを考えます
・握っているものを手放した時、どんな気持ちになるかイメージします。
その気持ちは、手放した瞬間と、それから時間を経た時にどのように変わっていくのかをイメージします。
・私たちの周りにある無限のアイディアが、拡げた手を通して私たちの中に流れてくるのをイメージします。
posted by 本山隊長 at 08:23| Comment(0) | 日記

2014年01月06日

天のしかけ

善い言葉を聞いたり
使ったりした時
明るい気持ちになり
悪い言葉を聞いたり
使ったりした時
暗い気持ちになるのは
言葉そのものに力があるからです
物を創り出す力があるからです
天は
花の美しさと同じ
人を癒す力を 
笑顔に込め
人に活力を与える
創造の力を 
言葉に込めました
笑顔と善い言葉は
人が助け合って
楽しく生きるための
天のしかけ
使えば使うほど
癒す力も創造の力も
増していく
天のしかけ

言葉の力を私たちは実感し、直感的に使っています。
そうすることで、何度も助けられています。
イメージしてみてください。
困っていた時、くじけそうになっていた時、悲しみで途方に暮れていた時、私たちを認め、励まし、光がさし、勇気を奮い立たせてくれた言葉を。
その言葉は、私たちの状況を変える力を与えてくれました。
それは言葉に力があるからです。
言葉の創化力と言うものです。
私たちは不自由さを楽しむために、この世界に旅に来ました。
不自由さの中から自由自在であることの喜びを感じるために、この世界に旅立ちました。
そのため、自由自在の力を引き出すツールとして、天は言葉を与えてくれました。
言葉が思いを自由自在に変え、その思いが私たちの状況を自由自在に変えます。
自由自在の状況を創りだすため、言葉というしかけから、天は制限を外しました。
善き言葉を使えば善きことが実現するように、悪しき言葉を使えば悪しきことが実現するのは、創造の力と自由度は連携しているからです。
そしてその自由度ゆえに、使い方もすべて私たちに任されています。
そこで、その自由さを私たちがよりよく生きるために使うことが必要になってきます。
花の美しさをイメージします。
花はただただ美しく咲き、その美しさで見ている人々を幸せにすることを望み、それを実現させています。
そのため、花がしてきたこと、種から芽を出し茎をのばし花咲かせるためにしてきたことは、光に向かうということです。
光に向かい天に向かうということをただひたすら続けている中で、望みどおりに花咲かせることができています。
光に向かうのは自分自身の中の光が共鳴し合うからです。
私たちも同じです。
光に向かうことで自分自身の中の同じ光が共鳴し輝きを増し続けます。
そこから発する言葉が光の言葉です。

【光としての言葉の力を実現するために(実践のポイント)】
・これまで自分を勇気づけたり癒してくれたりした言葉を思い出し書き出します。
・その言葉を何度か声に出しながら、以前その言葉を使った時、自分の心境がどのように変わっていったのかを思い出し書き出します。
・自然の中にある調和や成長する姿に目を向け、それを自分の中にイメージします。
・いつも光に向かっているイメージをします
・光に向かうことで自分自身の中の光が、輝きを増すことをイメージします
posted by 本山隊長 at 06:11| Comment(0) | 日記

2013年12月30日

単純でよかった

雨の降る日は
雨の景色に感動し
風の吹く日には
風の景色に感動し
晴れの日には
晴れの景色に感動し
花を見ては
きれいだなあって思い
朝日には
おはようと言い
満天の星空を見るたびに
うわーって声に出し
毎日通る道でも 
毎日見る景色でも
毎日違う顔をしているから
毎日素敵な旅をしている
そんな気になっています
ホント単純です
でも単純で良かった

さっきまで泣いていたかと思うと、ケロッとして遊んでいる。
子どもたちに接していると、そんな姿によく出会います。よく出会うと言うよりも、それは日常当たり前のように見かける姿です。
なぜ、子どもたちはそうあるのかというと、それは今を生きているからです。
過去にとらわれることなく、未来を憂うことなく、今を生きているのが子どもたちです。
そしてそれは特別なことではありません。
私たちも、もともと同じだったのです。みんな子どもだったと言っているのではなく、もともとは同じ「今を生きている」のが私たちだったということです。
だったというのは誤解を生むかもしれませんが、今もそうであり、常に私たちができることは「今を生きる」ということだけしかありません。
過去はそれにどうとらえられていようとも、過ぎ去ってしまったことであり、未来はそれをどう憂おうとも、未だ来ないことです。
そうであるのに、過去にとらわれ未来にとらわれ、今を生きていないのが私たち大人の姿ではないでしょうか?
今を生きようと深く心に意識した時に、毎日通る道でも毎日違う景色に見てきます。
毎日出会う人たちが、毎日一期一会の出会いの人たちとなります。
毎日違う今を旅している私たちが、そこにいます。
今を生きるとは毎日が新しい旅と気づくことです。
目が覚めるということは、その瞬間に再び生まれてきているということです。
肉体は眠ることがありません。それでも睡眠が必要なのは、毎日天に帰っているからです。
天に帰っている時にしっかり充電されてくるのです。充電され、エネルギー満タンの状態で目が覚め、今日の新しい旅が始まります。

【今を生きることを実現するために(実践のポイント)】
・過去にとらわれていることがあるならば、その理由を考えます
・過去は過ぎ去ったもので、どこにも存在しないことを考えます
・未来にとらわれていることがあるならば、その理由を考えます
・未来は未だ来ないもので、どこにも存在しないことを考えます
・今を生きることと過去と未来のつながりをイメージします
posted by 本山隊長 at 06:40| Comment(0) | 日記

2013年12月23日

愛が先

対機説法という言葉があります
対機説法とは相手に応じて
真理の入口を示すことであり
お釈迦様はその達人だった
と言われています
真理の入口とは 
悟りに至るための入口のこと
目指す山の頂はひとつでも
そこに至る道は無数にある
それは人の数だけあり
その人に最も適した入口
最も適した道を示すのが
対機説法と言うことです
考え甘く 
山に登る準備を
まったくしない人には
「山登りは決して
楽なものじゃないです、
しっかり準備をしないと
大変なことになる」
と山登りの大変さを説き
心配絶えず 
山に登ることを
ためらっている人には
「美しい景色 
美味しい水や空気 
楽しみましょう」
と山登りの楽しさを
説くことです
相手に応じて話すことが
できるのは
深い愛があるからです

多くの人は私たちに多くのアドバイスをしてくれます。
そのアドバイスは、その人の経験やその人が学んだ知識などに基づいています。
そのアドバイスは方法論的なことであるのか、本質論的なことであるのか、ここを見抜く必要があります。
方法論的なことが悪いというわけではありません。その奥にある本質を意識することが必要です。
なぜなら、山の頂に至るための入口は無数にあるからです。
その人が得た方法はその人にとってもっとも必要なものであり、私たちにとっても必要なものかもしれませんが、もっとも必要なものではないと考えてください。
それが十人十色の意味です。
アドバイス上手の人もいますが、アドバイスされ上手の人も大切です。
アドバイスされるのもアドバイスするのもどちらも愛が伝わる行為です。
この世とあの世には無限の愛のエネルギーの流れがあります。
その愛のエネルギーを自分と相手に流していく行為がアドバイスです。
無限の愛のエネルギーが次々と人から人へと流れ続けていく姿をイメージしてください。
それは縦横無尽に拡がりつながる愛のエネルギーの流れです。
私たちが見たかったのはその姿。
光明荘厳な愛のエネルギーが流れるその姿。
その光明荘厳な愛という光が作り出す世界は私たちとつながっています。
もっとイメージしてみると、その光明荘厳な姿こそが、私たち自身であることにきっと気づきます。

【アドバイスされたことを自分のものとすることを実現するために(実践のポイント)】
・いい話をアドバイスされたらすぐ実行するようにします。
・何度も繰り返し繰り返し実行します
・実行の中でつかむのはコツです
・コツが伝えたいことの本質であり、あなたにピッタリの知恵です
posted by 本山隊長 at 08:31| Comment(0) | 日記